こんにちは!
Jumbo三宅(@sato_ds_hkosk)です。
UnsplashのJohannes Plenioが撮影した写真
自然な動きは社交ダンスの魅力のひとつです
しかし自然という言葉は時には
危険も含まれていると思います。
今日は自然について僕なりの考えをお話しします。
自然とは?
まず自然とはなんでしょうか?
いくつか調べてみると概ねこんな意味として説明されています。
・人の手が加わらないありのままの状態
・無理のない状態
・この世の全て
ちなみに自然には「しぜん」と「じねん」の二つの読み方があります。
これにも意味の違いはあるようです。
「しぜん」は西洋のnatureを翻訳した言葉で人間以外の全てを示して、
「じねん」は仏教の用語で人間を含めた世の中全てを指すようです。
どちらにしても意味としては無理がなく、
流れとしてそうなるというような意味がいがあると思います。
ダンスのおける自然
UnsplashのJason Ortegoが撮影した写真
では社交ダンスにおいて自然とは
どういう状態でしょうか。
上手な人のダンスを見ると
確かに自然に見えることが多くあります。
たとえサプライズ的な動きがあっても
そこに無理を感じることはありません。
力づくでやったり、相手の動きを考えずに踊ることは
自然とは対極にあるでしょう。
また体の構造、とくに筋肉や関節の動きに沿って動かないことは
外に無理が見えてしまい、いいダンスにはなりません。
ダンスにおいて自然はいいことであると言えそうです。
自然の罠
UnsplashのAlain Riederが撮影した写真
しかしダンスにおいてこの自然には
大きな罠があります。
本当の自然、いわゆるアマゾンの奥地や砂漠の真ん中など
人の手が全く加わらないところは自然といえます。
この自然はそこに存在する全てものが
一番効率的に存在できる状態
つまり無理がなくエネルギー的にも一番低い状態になります。
そしてその一瞬一瞬でより効率的に
無理がなくエネルギー状態、あるいは消費が少なくなるように
動いていきます。
もしダンスで自然を追求していくときに
本当の自然、つまり効率化を目指してしまうと
床に寝転がってしまいます。
これが一番筋力を使わずにそこに存在できるからです。
そんな奴がどこにいるんだと思う人も多いかもしれませんが、
多くの人がこの状態に陥っています。
体が緩んだり、ホールドの腕が下がったりするのも
自然な方向に動いてしまっているからです。
ダンスでは綺麗な形を保つので
当然エネルギーを注ぎ込み形を維持する必要があります。
そのため自然とはある意味真逆の方向に動作しているとも言えるでしょう。
脳内も同じ
UnsplashのMilad Fakurianが撮影した写真
またこれは肉体だけでなく脳(精神)にも同じことが言えます。
先日レッスンでこんな会話がありました。
僕「今うまく踊れてましたよ!」
生徒「ずっと意識していないとできません」
僕「それは当然ですよ。意識したことしかできません」
生徒「そうなんですか?自然にできると思ってました!
これ結構多いと思っています。
習ったことを理解したら
あとは自然に何もしなくてもできると考えているのでしょう。
たしかに僕もそう思ってしまっていた時期はあります。
ただ理解できてもそれを忘れて(意識しないで)できることはありません。
なぜなら脳からの指令で体が動いているからです。
実際は本人の感覚的に意識しなくても
できる感じがしている人はいるでしょう。
でもそれは意識して練習を繰り返し
何百回、何千回と行うことで意識している感覚がなくても
意識をしている状態を作れるようになったというだけです。
よく体で覚えるという状態です。
もしあなたがある動作について
できたりできなかったりするなら意識をするべきでしょう。
またできてはいるけど出来栄えがまだ気になるなら
意識をするべきフェーズにいます。
それができているかどうかも気にならないなら
それが初めて無意識に意識できるようになったのかもしれません。
ダンスの自然=自然に見える
UnsplashのLaura Marquesが撮影した写真
僕は社交ダンスにおいての自然は
「自然に見える」状態だと思います。
見ていて無理がないように見える状態ということです。
また一緒に踊っているなら相手に無理矢理な動きを
伝えないで流れの中で踊っているように感じる状態です。
当然その状態を作るためには
途切れないで意識することや筋肉を十分に使い
力が入っていることでしょう。
無理やりは行いませんが、
「自然=力を抜く」というのが
一番危険なことだと思います。
〜まとめ〜『美しさのためにはエネルギーがたくさん必要』
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