
こんにちは!
Jumbo三宅(@sato_ds_hkosk)です。
UnsplashのGary Bendigが撮影した写真のGary Bendigが撮影したイラスト素材

「立つ鳥跡を濁さず」
これは去り際や終わり際まで誠実にきれいに終わることを示す
日本では昔から言われている言葉です。
由来は諸説有りですが、
安土桃山時代にはすでにあったようです。
今日はこの「立つ鳥跡を濁さず」について
徒然とお話しします。
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終わり際はたくさんある
UnsplashのJad Limcacoが撮影した写真のJad Limcacoが撮影したイラスト素材

終わり際というのは、人生においてたくさんあります。
卒業や退職、あるいは1日の終わりに
仲間と別れる時もある意味終わりぎわのひとつでしょう。
人間は最後に見たり聞いたりしたことが印象に残りやすい部分もあるため
長い時間軸でも短い時間軸でも
終わり際がよければいい印象が残りやすいのかもしれません。
「終わりよければすべてよし」という言葉もあるように
日本人はとくに終わりに重きを置く傾向があるのかもしれません。
まあこの言葉にもちょっと引っかかるところはあります。
終わりがよければまあいいっしょみたいな空気を感じるからです。
とはいえ終わりが大事というのは
確かにそうだなと思います。
終わり際になるとどう感じる
UnsplashのPascal Bernardonが撮影した写真のPascal Bernardonが撮影したイラスト素材

何かが終わりに近づいたときの感情には
いくつかのパターンがあると思います。
とくに大きな節目になると
これらの傾向が出やすいと思います。
(1)完走を目指す
(2)どうでも良くなる
(3)レガシーを作る
順番にお話しします。
(1)完走を目指す
まずは完走を目指すタイプです。
例えば期末テストなどを例に考えてみましょう。
ひととおり回答を書いた後に
もう一度見直してミスがないかをチェックします。
そして時間がある限り細かいところもチェックしたり
また最初に解けなかったところに時間をかける場合があるかもしれません。
このように最後のときまでより完全に近づくように
努力するパターンです。
多くの人がこれを目指し、このようにやっていることが多いと思います。
もちろん完走の意味が、何かをやり遂げる場合もあれば
ゴールが永遠にない場合もあるでしょう。
その場合は最後の時までに少しでも前進することが
広い意味での完走となるでしょう。
(2)どうでも良くなる
次はどうでも良くなるです。
またテストの例を出すと
全く勉強しないで臨んだ試験で
2割も解けないような時があったとします。
こんな時は途中で槍投げになってしまうことも
あるでしょう。
こういう感じがどうでも良くなる時です。
これは「立つ鳥跡を濁さず」にはなりにくいことが多くあります。
それでも最低限のことをやりきって去っていく場合もあれば
何もしないで投げ捨てるようにしてしまうこともあるでしょう。
これはもちろん去っていく人の問題でもありますが、
多くの人はどちらかというと完璧ではなくても
最低限のことはやり切って終わりを迎えることが多いと思います。
もしそうならない場合は
その人だけでなく、さられる方の環境にも
大きな問題があることが予想されるかもしれません。
とくに普段からしっかりしている人ほど
環境に対して失望すると
去り際へのモチベーションが下がりやすい傾向があ流と思います。
それでも自分が終わる立場にある時は
「立つ鳥跡を”最低限”濁さず」はやったほうがいいと思っています。
(3)レガシーを作る
これは特に大きな業績を打ち立てた人や
権力がある人がやってしまいがちなことでしょう。
自分が頑張ってきた功績を
形にしたくなるのかもしれません。
わかりやすい例で言えば銅像を作るみたいな感じです。
もちろん銅像を作ること自体は
何も悪くありません。
創業者や社長の胸像が会社の入り口にあったりするのを
みたことがある人もいるでしょう。
これが銅像くらいならそうでもないですが、
大きな力を持つ人がレガシーを求めて
大きなことをしてしまうと周りが大変になることがあります。
それがみんなの思いと合っていればいいです。
また自分自身でやってくれるなら
まあいいと思います。
ただ身の丈に合っていないレガシーを
周りに作らせるのはやめたほうがいいでしょう。
これはまわりが変な忖度をするのも同じです。
多くの場合最後の偉業がなくても
十分すごい人と認識されていると思います。
ただ本人は最後にもう一花咲かせたいと思うのか
そこで何かをやろうとしてかえって
立つ鳥跡を濁すになってしまうことも少なくないでしょう。
この場合本人は気づかないけど
周りはみんな濁したなぁと思っていることが多いので
気をつけたほうがいいと思います。
今まで通り過ごすのが理想
UnsplashのMatteo Paganelliが撮影した写真のMatteo Paganelliが撮影したイラスト素材

僕も今まで幾つかの終わり際を体験してきました。
大きいところでは競技からの引退があったと思います。
僕は最後の時までいつも通りに頑張って上達しようと
意識していたつもりです。
それができたかどうか?
それは自分にはわかりません。
周りにも迷惑をかけた可能性も
少なからずあります。
ただできるだけ静かに、いつも通りで
いろんな最期を迎えるのが理想なのではないかと
思っています。
これからも何らかの終わり際は
何回もくるでしょう。
そこでどう行動するかは
いつも考えていく必要があると思っています。
〜まとめ〜『立つことを気づかれないくらいで』
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