こんにちは!
Jumbo三宅(@sato_ds_hkosk)です。
UnsplashのValerie Elashが撮影した写真
スタンダードを踊る時はホールドと言って
両手を繋いで組みます。
社交ダンスにおいてはお互いに相手を包む様に組めばいいのですが、
競技ダンスになると追加で別の要素も加わってきます。
それはホールドの大きさです。
大きなホールドを作ることで見た目も迫力があり
回転のスピードも増して見えるなど様々な効果があるでしょう。
しかし大きくしようとすると腕が直線的に伸びるため
相手を引っ張ってしまったり、幅はあるけど薄くなってしまったりします。
かと言って丸みを出すと、背中が丸く見えてしまうかもと
なかなか難しい問題です。
今日は競技ダンスの大きいホールドと、社交ダンスの丸みのあるホールドの
両立を目指すアイディアを僕なりにお話しします。
臭いYogibo
UnsplashのVlad Dribnokhodが撮影した写真
最初は背骨との兼ね合いで考えてみましょう。
これはホールドに丸みを持たせることを求められると
頭が前に動き猫背になってしまう様な人におすすめの考え方です。
体は本来自然な連動があります。
そのため自分の頭では考えていないことでも
他の運動に連動して動いてしまうことは珍しくありません。
例えば深呼吸をする時をイメージしてみましょう。
ラジオ体操の最後の方にあるやつです。
腕を体の前で丸く寄せる様にした時に
体も前にカーブして下を向く様にします。
次に両腕を横に開きながら体の前面を伸ばし
胸を太陽に向ける様に開いてきます。
これを繰り返して深呼吸を行っているのでしょう。
ちなみにこの場合腕が前の時に息を吐き
腕を開いた時に息を吸うことになると思います。
それはさておきこの深呼吸の動作は
体にとって全体的に自然な連動が起きているのだと思います。
一方競技ダンスで欲しいホールドの要素は
胸を開き伸びているからだと、相手を包む様に前にある腕です。
つまり体にとって一番自然な状態に対して
ある意味矛盾があると言えるかもしれません。
胴体は息を吸った状態ですが、
腕は息を吐いた時に近い状態ということです。
そのため腕を丸くと言われると姿勢が猫背になり
体を伸ばすと腕が横から後ろに引く様になってしまうのです。
社交ダンスの先生は「自然に云々…」とよく言いますが、
それは長年その様に踊ってきたその先生が身につけているからこその自然で
体的にはある意味での矛盾があるということです。
もちろん身体の動きとしての無理があるわけではありません。
ただ連動に任せて動いていると
どうしてもうまくいかないので、ある種の分離が必要だということです。
この解決方法としては臭いヨギボーを運ぶイメージをするといいでしょう。
【公式】Yogibo(ヨギボー)体にフィットする魔法のビーズソファ | Yogibo公式オンラインストア
ちょっと何言ってるかわからないかもしれません。
まずヨギボーの大きなクッションを抱えるように、腕で大きな円を作ります。
IKEAの大きなサメ、コストコの大きな熊などなんでもいいですが
気持ちよく抱えられる大きなものをイメージしましょう。
そうすると腕は横に広がっていてかつ体は伸び頭は上がっているので
いい感じになると思います。
ただヨギボーは気持ちがいいので体も
むぎゅーっと前にいってしまってはダンスの姿勢はできません。
そこでそのヨギボーがめちゃくちゃ臭いとどうなるでしょうか?
抱きついた感じはめちゃくちゃ気持ちいけど臭い。
腕は前にあるまま顔が離れていき背中はまっすぐになる様な気がしませんか?
なぜ臭いヨギボーを離さないのかは
いま忘れてください。
納豆やブルーチーズみたいに美味しいけど臭いものと
同じカテゴリーだということにしてください。
この抱き心地サイコーだけど、匂いがサイテーな
ヨギボーを想像するといいと思います。
理にかなっているけど、自然ではない
UnsplashのCarl Barceloが撮影した写真
社交ダンスに限らずですが、ある程度美しく見せようとか
何か成果を出そうとした時は純粋な自然ではできないと思います。
確かに自然い踊ることはいいことですが、
この「自然」という言葉を文字通り受けてしまうと
社交ダンスとしてはいいですが、競技ダンスにおいては
よくない結果を招いてしまうかもしれません。
競技ダンスで自然と言われた時は
大きく分けてつぎの2つのパターンがあると思います。
(1)自然に”見える”動作
(2)身についてしまって自然と”勘違い”している(いい意味で)
(1)の場合は見た目は自然に見えますが、
本人は意識してその状態を作っています。
先ほどの臭いヨギボーの様に体の本来持っている自然な連動を抑えて
綺麗な形を作ろうとしています。
その状態を何回も練習して身についてしまった人は
それが自然と勘違いしているかもしれません。
よくグレートなコーチャーが
「パッと組んでスッと動けばいいじゃん」みたいな
言い方をするアレです。
あれは死ぬほど何回も練習して
体が覚えてしまった結果です。
もちろん僕たちもその域に行くまで
何回も練習するべきでしょう。
最後に一番大事なことは何事も
理にはかなっているけど、自然ではないということです。
素晴らしいダンサーは意識して脳と筋肉を使い
何回も繰り返し練習して自然に感じる域まで到達しているということです。
より高い自然を目指すということは
現在の自分にとって自然ではない域に進むということです。
そのため無理やりやるわけではないですが、
あくまでも感覚的は不自然な領域に踏み込んでいく必要があるのです。
今の自分にとって自然な域にとどまっていては
進歩はないと思います。
〜まとめ〜『コーチャーの"自然"は長い努力の成果』
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