こんにちは!
Jumbo三宅(@sato_ds_hkosk)です。
僕は社交ダンスの教師という道を選び
生活しています。
そのためなんだかんだ言っていつも
ダンスのことを考えてしまいます。
それはそれでいいのですが、
たまにはちょっとダンスから離れてみたい時もあります。
今日はすこしダンス以外のことで
コロナでもないことを
雑談のように話してみたいと思います。
北海道に来た理由は?
僕が北海道に来たのは
大学に入学するタイミングです。
とくに北海道に憧れがあったわけではなく
実家から通えない大学の候補のひとつだったのが
最大の理由です。
つまり実家を出たかったということです。
まあ実家を出たかったと言っても
家が嫌いだとかそういうわけではないのですが、
すこし1人で生活したい気持ちがあったのが事実です。
どうせ遠くに行くならと候補にあげたのが
北に行くなら「北海道大学」
南なら「琉球大学」
みたいなノリでした
琉球大学には熱帯に特化した学科もあり
ちょっと興味がありましたが
暑いのが苦手だったことに気づき
北海道に決めました。
なのでこのときはまだどういう学科に行きたいかはなく
いちおう理系だなくらいの気持ちでした。
高校での成績はまじでやばかった
僕が言っていた高校は一応進学校でしたが
そんなに有名どころに行く人がたくさんいるわけではありません。
ですが、最初のことは勉強についていけず
テストの結果は学年で5番以内くらいでした。
下から…
1年生の後半から2年生の頃はとくにやばく
テストの点も偏差値も30点台を叩き出していました。
このころはなんとなく全てがうまくいかず
部活も途中で退部してしまったので
宙ぶらりんな感じで過ごしていました。
そんなこんなで高校2年生の夏が近づいていたのです。
なんか知らんけど一念発起!
特に理由はないのですが
「これではいかん!」
と思い勉強することにしました。
なんでそう思ったのかいまだにきっかけはわかりませんが、
今思えばその決断に助けられている部分が大きいと思います。
まず勉強を習慣づけるために
親に頼み通信教育に申し込みました。
周りは予備校などに行っている人も多かったですが、
なんとなく自分には向かない気がしていたのでしょう。
とくに進学校(っぽい)だったので
Z会とかをやっている人が多かったように思いますが、
難しすぎるので僕は進研ゼミを選びました。
基本的なことを中心に教えてくれるので
偏差値30の僕でもスムーズに始められました。
勉強も問題が解けるようになると楽しくなるもので
夏休みの間も学校の図書館に通い
毎日勉強していました。
ついに物理の試験で学年トップに
勉強すると当たり前ですが成績も上がってきます。
そして3年生の時についに物理のテストで
学年トップになりました。
これは本当に嬉しかったのを覚えています。
物理は国語などと違い
しっかりと勉強すれば点数が取れるので
頑張ったことがしっかりと目に見えたのが
自分にとっても励みになりました。
たいした高校ではなかったですが、
やはり上位には猛者がいるので
1位は後にも先にもこれ1回だけです。
模擬テストも判定が上がっていった
予備校に入ってなかったですが
予備校主催の模擬試験はよく受けていました。
最初の頃はE判定(合格率20%未満くらい)でした。
コメントには「志望校を考え直しましょう。」と
あっさりと残酷に書かれていました。
ただあまり判定に落ち込むことはなく
月に1回くらいの模試を受け続けていました。
そうするとだんだんD判定→C判定と上がっていき
だいぶ合格が見えてきたのを覚えています。
受験本番で北海道に来たぜ!
受験の本番は北海道大学に来ての受験です。
それまでにセンター試験と私立大学(家の近く)を受験し
感覚も掴んできていました。
そして受験票が大学から来るとその会場が…
「代々木ゼミナール」
?
なんとまさかの代ゼミが受験会場でした。
受験生が多いため学部により異なり
僕の希望する学部は代ゼミだったのです。
そうして一度も北大に行くことなく受験を終え
帰宅したのです。
後から聞いたところによると
北大は建物が古かったので暖房にムラがあり
暑いところと寒いところがあったと言っている人もいました。
代ゼミは超快適でした。
人生は何が起きるかわからん
そして念願の一人暮らしを実現し
北海道に来ることになりました。
この時は大学の4年間だけで
就職したらどうせ東京だろうし
そうなったらまた実家に戻るのだと
思っていました。
と・こ・ろ・が…
いろいろありなぜか北海道に定住することになり
今に至っています。
ただこれからどうなるかわかりませんが
いまを大切に自分らしく生きていこうと思います。
〜まとめ〜『人間至る所に青山あり。』
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